· 

寄贈品 №15

下伊那報国農場からの手紙

1945(昭和20)年5月24日 サイズ 25.5×18.3 全4枚

酒井貴穂:1926年生 長野県下伊那郡和田村出身 下伊那報国農場

下伊那報国農場隊として満州へ渡った酒井貴穂さんが家族に送った手紙

№14で紹介した酒井貴穂さんが故郷の家族にあてて送った手紙です。

農場での生活がとても楽しく月日が夢のように過ぎていくこと、大陸焼けで真っ黒になり、お母さんのように太ってしまったことなどが、ユーモアを交えながら生きいきと記されています。また1日の作業日程も詳しく書かれていますが、何をやっているかは秘密のため知らせることができないという意味ありげなことも。国策の「裏側」を垣間見る気がします。

無邪気な手紙からは、貴穂さんもご家族も再会を楽しみに待ちわびていたことがうかがえます。しかしその願いがかなうことはなかったのでした。

 

〈手紙書き起こし文〉

 御免下さいませ。御家内様御変り御座居ませんか。御伺ひ致します。御蔭様に私も相変ず元気で楽しく働ております。故御安心下さいませ。もう故郷もさぞ忙しくなった事でしょう。毎日お父さんも母さんも畑でそしつている事でしょう。私達も畑出てわ皆と故郷を思ひ出してわ想像しております。

 この東満の地へもようやく春が訪れて参りました。野も山も青々と延び美しい花が咲き出しはじめた 明子も俊坊も毎日元気で遊ぶ事でしょう、又和子もさぞ大きくなってにこにこ笑うでしょう。

 この御便がつく頃わもう蚕も大きくなり田植と一緒で忙しくなるでしょう。でも今年は蚕を飼ふかしら・・・・・

 月日の立つわ早い物もう家を立って依り二ヶ月余りになりますね。


到着以来日影のない満州で毎日照し付けられますのでもう大陸焼で真っ黒です。そしてお母さんにも負けないぐらい太りましたよ、ホホウ・・・・・ 此の顔を一日も早く家の皆様に見せたいような気が致します。

 東京の皆様わどこにいられますか。東京に居たら住所をお知せ下さい。又喜代子姉様に帰にかばんを買って行くのか聞いて下さい。そして帰りの金(小づかい)を送って下さい。もし近藤譽さんがこの手紙のついた後に満州へ視察に来ましたらあつらえて下さい。又小荷物が送れましたらもんぺ二足と古足袋二足とせつけんと軍手と手拭と古本を送って下さい。そして薬を手紙へ入れて書留にてお送り下さい。薬はせめんとこうやく、足をくじきました。お金は譽さんが立った後なら手紙の着き次第電信為替にて送って下さい。手紙は書留にて下さい。糸とつぎと白いつぎも、そして酒井康喜さんの所へくやみ状を出しました。


お母さんも元気で居たと下栗の初美さんに聞いて安心しました。本隊も五月十九日に到着しました。其方達も元気で毎日働ております。野原へ出ると今調度しやくやくの花がつぼみを出しはじめた頃です。それを見ると家の裏のしゃくやくが思ひ出されます。もう咲いた事でしょう。満州は朝は四時にはもう夜が明けて、五時にはもう真っ赤なお日様が赤々と登り出します。五時起床五時二十分から朝礼、朝礼をすまし食前作業六時迄 六時から朝食 其の御飯のおいしい事。食後一時休み七時十分依り作業始め午前中の作業十一時半に終りだがまだお日様はとても高い。七時に夕食、日の沈む頃は七時半頃です。日が沈むと間も無く日が暮れる。九時が消灯です。消灯からわ懐しき夢を見て一と眠り朝の起床迄なにも知らずに眠ります。


一日中の作業わ秘密の為お知せ出来ません。帰りを楽しみに待って居て下さい。

 同封の便り貴美ちゃんの家へやって下さいませ。私も貴美ちゃんと毎日元気で戦闘帽に敬礼でやって居ります。

先わこれにて近所へ四六四九(よろしく)傳へて下さい。御家内様の御健康をお祈り致します。

貴穂より

 

五月二十四日

故郷も今頃わお茶摘でしょう