引揚証明書
厚生省博多引揚援護局長発行 1946(昭和21)年9月16日
サイズ 18×17
内蒙古の興農合作社*に勤めていた田中平八郎さんの引揚げ証明書
長野県北安曇郡会染村(現池田町)から1938(昭和13)年に満州へ渡った平八郎さん。
内蒙古の興農合作社で職員として働いていました。
お孫さんに語った話では、子どものころ読んだ『赤色露国の一年』という本に大草原で馬を駆る女性が登場し、それに憧れたといいます。現地では蒙古の人たちの結婚式に呼ばれたり、ボーイさんや女中さんを雇って生活をしていたそうです。
ここに挙げたのは1946年9月に博多港に着いたことを証明する文書。引揚げ前は長春の職員アパートにいたようです。敗戦前の豊かな暮らしから一転。どんな想いで日本の土を踏んだのでしょうか。
興農合作社*・・・中国や欧州などとの戦時体制(主には食糧増産と農産物価格統制)に備え、日本が満州国の農業・金融を管理・統制するために設立。農民の福利増進と生産物増産指導などを受け持った農事合作社(1937~)と、農村協同組合運動の先駆けとして農業金融を担った金融合作社(1933~)が統合し、1941年興農合作社となった。日中戦争が長引き、欧州では大戦が始まり、米国との戦争も間近となる時期。日本軍への安定した食糧や物資の供給がさらに求められたことから、統合前より国家統制的性格を濃くした機関となっている。