電報
1937(昭和12)年2月26日印 サイズ 21.2×12.2
開拓団として満州へ渡る田中祥次さんに宛てられたお祝いの電報
長野県北安曇郡会染村(現池田町)の田中祥次さんは、1937年第5次黒台信濃村開拓団の一員として満州へ渡りました。長野県が初めて県単独で編成し、行政もメディアも相当な力を入れてその送出を後押ししたといいます。
ここに紹介する電報文「めでたき渡満を祝し国家のためご奮闘を祈るよし」とあるように、その前途は希望に満ちていたことでしょう。祥次さんはその後、日本からお嫁さんを迎え、2人の女の子を授かります。
しかし、ソ連参戦と日本敗戦後の混乱のなか、黒台信濃村開拓団では集団自決などで多くの人が亡くなりました。祥次さんは現地召集されソ連で命を落とし、また、奥さんと幼い娘さん2人も犠牲になってしまったのです。