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寄贈品 №32

在満資産申告書 第1~3号表

1947(昭和22)年4月17日 サイズ 34×25.5、5枚

足立易(長野県出身。下水内郷開拓団で渡満) 

満州で所有していた財産の申告書表


 

 下水内郷開拓団で渡満していた足立易さんは1946(昭和21年)11月に佐世保へ上陸しました。その後、開拓団にいたときの財産について報告しています。

 

申告書は日本語と英語二言語併記となっており、

第1号表は 報告者について

第2号表は すべての所有財産について

第3号表は 動産・不動産・預貯金等の項目別にその内訳が記載されました。

たとえば、農耕地4.3ha・住宅及び畜舎60坪を、1941(昭和16)年に満州柘植公社から買い入れたと記載があり、取得時期の価格や評価額等も示されています(単位は満州国円)。動産については、家畜・農具・家具・衣類のほか、寝具や炊事道具まで。郵便局への預金も申告されました。足立さんは他の人の分も代理人として報告しており、同じ形式の書類が2種類寄贈されています。

 

 No.31のはがき文面にもあったように、こうした報告に基づいて、政府による何らかの補償が期待されたと想像できますが、実際に財産が返還されたり、それに相当する補償がされることはありませんでした。

 1951(昭和26)年サンフランシスコ講和条約によって、日本は在外財産の請求権を放棄する=補償は求めないとし、企業の所有物に加え、個人の財産も戦争賠償の代わりに充てられたからです。

 その後、1957(昭和32)年「引揚げ者給付金等支給法」が制定され、6ヶ月以上海外に本拠地を置き、8/15以降引揚げてきた者に対して、年齢別に28,000円(50歳以上)~7,000円(18歳未満)が国債という形で支給されることになります。そして1967(昭和42)年「引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律」で最終解決が図られました。結局この問題は、引揚げ者が望む補償はされないまま、現在に至っています。