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寄贈品 №37

思出帳

作成者 三石國一(長野県下伊那郡鼎村出身、第五次黒台信濃村開拓団)

作成 1948(昭和23)年3月13日 サイズ 25×17.5

黒台信濃村開拓団での写真をまとめた思い出ノート

表紙

昭和三十九年三月召集前日一家揃ふて


  長野県が募集した黒台信濃村開拓団で渡満した三石(旧姓・田原)國一さんは、開拓団の仲間たちや家族との写真をまとめた手作りの写真ノートを「思出帳」として残していました。戦後復員してきてから作ったこのノートのぼろぼろに破れたページには、しわの寄った写真が並び、國一さんによる短い説明や写っている人物の名前などが書かれています。

  開拓団の生活をうかがわせるものには、馬で畑を耕す様子や釣りの風景のほか、麦畑で作業中の青年たちが写っています。「共に働きし友よ 帰りしは我一人かな」という添え書きから、あの頃の友人たちの多くは日本に戻ることができず、命を落としてしまったと想像されます。

 

 「昭和十九年三月召集前日一家揃ふて」の写真には、國一さんご夫婦と二人の娘さんの姿も。『長野県満州開拓史 名簿編』(1984)によると、敗戦時上の子は3歳、下の子は赤ちゃんでした。國一さんは現地召集となり、その後シベリアに抑留されてしまいます。帰国できたのは1947(昭和22)年のことでした。奥さんと娘さんはともにハルピンで、栄養失調と発疹チフスで亡くなっており、この写真が家族にとって最後の1枚となってしまったのでした。