第二次満洲農業移民千振郷要覧
制作者 千振郷庁*
発 行 1937(昭和12)年調べ サイズ 56×37.5
第2次千振郷開拓団の概況や建設状況をまとめたパンフレット
第2次千振開拓団は、第1次弥栄村開拓団に続く武装移民として1933(昭和8)年に送出されました。入植地は、日本の支配をこころよく思わない現地住民(反満抗日勢力)の一大地域でもあった三江省樺川(かせん)県。同年、強制的に土地を奪うやり方に不満を抱いていた中国の農民たちが武器を取り、当地域の有力者である謝文東をリーダーとして抗日闘争(土龍山事件/謝文東事件)が起こりました。弥栄村・千振村ともに大きな打撃を受け、多数の退団者を出しています。そんな不安定な地域への入植ではあったものの、だんだんと建設も軌道に乗り始めました。病院・神社・学校などが造られ、食料・家畜飼料も自給できるようになってきます。団員家族も大勢入植し1935(昭和10)年には計画の八割がた完成しました。
千振開拓団には各方面からの視察も多く、この要覧は団建設の様子を紹介するために作られたパンフレットのようなものだったと考えられます。畑の茄子や羊の群れ、現地に作られた病院などの写真も添えられていました。
裏面には「満州農業移民入植図」として第5次(1936年入植)までの移民団の位置と、第6次移民団入植予定地などが示されているほか、千振開拓団集落配置図も記載されています。「新潟村」「宮城村」など出身県ごとに集落がつくられていました。
*千振開拓団は当初千振屯懇団という名で組織されたが、1936(昭和11)年から千振郷庁と改名し、日本の町村制を模した郷制という自治体制を敷いた。郷長ら幹部と各区からの推薦議員による郷会が団の行政を担った。
要覧表紙
満洲農業移民入植図