① 東寧報国農場記*
山﨑正一、1925(大正14)年神奈川県中郡高部屋村出身 1942(昭和17)年 21.5×15.6, 76頁
山﨑正一さんが東寧報国農場隊として渡満した時の日記
山﨑正一さんは17歳の時に、東寧報国農場隊の隊員として満州へ渡りました。この日記には故郷の村を出て満州の農場で過ごす前半部分と、9月下旬から帰国までをつづった後半部分から成っています。
出発の前日「今夜が最後の家で寝る夜か」と思いながらなかなか寝付けない様子、初めて乗った船のこと、到着した広大な満州の農場で「肚(はら)の底よりやるぞの意気に燃えて緊張の日課を送る」といった意気込みなどが綴られています。あまった砂糖でまんじゅうを作ってみたり、バケツのふたをフライパン代わりにしてお好み焼きのようなものを作ったり、といった具体的なエピソードも目を引きます。
② 東寧報国農場記―昭和17年度(初年度)報国農場隊7ヵ月の記録
山﨑正一著・山﨑一雄編集・発行 2016(平成28)年1月10日 同上,111頁
①の日記を活字化・編集した本
父が生きた証を何らかの形で残したいと、日記の文字をパソコンに打ち直し、満州や報国農場についての説明や地図を加えるなどして、本としてまとめられたのが息子の一雄さんです。編集作業には一雄さんのご兄弟や子どもさんたちも関わったといいます。もしかしたら、誰にも知られることなく忘れられてしまったかもしれない記憶が、家族の手によって甦りました。その意味で、この本は正一さんとそのご家族との共同作業で編まれた貴重な一冊と言えるでしょう。
書籍化された『東寧報国農場記』は記念館学習ルームに配架してあり、自由に閲覧ができます。ぜひ手にとってごらんください。
* 国防強化のため、1942年に牡丹江省東寧県に設置された、きわめて軍事的役割の強い農場。最初の年は全国から約600人の若者が集まり4月~10月の約半年間農作業に従事した。1945年には新京第一中学校生徒らを含む130名近い隊員が在籍したが、ソ連参戦で50名以上が犠牲となった。